身障者の一番の不安!

介護生活にもリズムが出来、悪く言えば代わり映えの無い日々がコンコンと過ぎていく。仕事から帰って夕食の準備をしていると、私を呼ぶ声が!部屋へ行くと、「今日はお腹が痛くて痛くて凄く不安になった」「腹痛に波があって、治まったと思っても時間が経つと又痛くなる」「寝返りも出来ないから辛かった」との事だった。彼も私同様、身障者としての生活に慣れてきたものの、少なからず不安も感じていたようです。だがこの問題は24時間付きっ切りでないと解消はされない。介護生活を順調に過ごす為、私は働かない訳にはいかず、彼と話し合う。認知症ではなく、尿意も便意もある。ただ左上下肢が麻痺しているだけ、年齢も68歳、オムツ生活は仕方のない事だと納得もしているが、オムツに便を出す事にプライドが許さないようだった。プライドを傷付けないようにわかってもらうには・・・。子供をあやすように【オムツに便したら腹痛もなく美味しくご飯食べれるよ。オムツにドンと便があったら私もうれしいよ】【わかった!お願いします。】思いのほかすんなりわかってもらえたが、その後の不安がぬぐえたかはいまだ解消はされていない。彼には不安を感じた時・事があったら必ず話してもらうようにした。それが一番不安解消になっているのかもしてないと思った。

最初のはてな!排便コントロール

自宅での介護生活が始まった。思っていたよりも苦痛感?心労?なんて事は無く、日々の事を確実にこなしていく生活だった。そうだ!逆に彼に苦痛に思っている事を聞いてみようと思い、訊ねると、身障者になってから寝たきり・車椅子生活が大半の為、【便】が出そうで、出ない。出そうな時に誰も近くに居なくて我慢しなくてはならない現状があるが仕方ない。元々便秘を余り経験した事が無かった事もあり、2日出ないと、気持ちがシンドクなる。って事だった。彼の事を一生懸命介護しているのは、解かっているつもりであった。勤務先では夜勤明けの方から申し送りがあり、ナースが

便秘の利用者に合った便通薬を飲んでもらうように勤務者に指示がある。ただ勤務先では尿意・便意が無い利用者が殆どで、自宅では抜けていた。私の配慮が足りなかったのである。とは言え家に便通薬がある訳でもなく、市販の薬を飲んでいいのかも解からず、次回の定期受診の時に主治医の先生に相談する事にした。そして受診日、主治医の先生に相談し、【酸化マグネシウムを処方】となる。どのタイミングで何錠服用するかは、訪問看護師さんと相談し、2日出ない時1錠服用しましょう!と決まった為、排便があった日はカレンダーに〇を付けるようにした。それでも出ない時は出るまで飲み続ける事になった。余り効果は見れなかったが、自宅での介護はこれが限界なのかもしれない。ある時7日出ない時があり、訪問看護師さんに連絡し、【浣腸】にて山盛りの便が・・・。便秘5日目から食べる事が難しかったらしく、その時に気付いて、訪問看護師さんに早く相談するべきだったと反省!いやいや日々反省!!

自己紹介から始めます!からの・・・。

初めまして。

古味由巳子と申します。

先ずは私の現状から始めたいと思います。

長くなりまがお付き合い宜しくお願いします。

同棲10年二人でそろそろ【籍】を入れようかと話していた時に試練が訪れました。

忘れもしない、2018年3月3日土曜日彼は友達と富山県に遊びに行く為、車を運転していた。昼前から何十年も出ていない鼻血が出始める。とりあえずティッシュを詰めて運転を代わってもらい富山県に到着。鼻血は止まらず。夕方になっても治まらない為、友達に病院に行くようにすすめられるも土曜日の為、宿の方に救急車を呼んでもらい、富山日赤病院に搬送される。夜中23時50分私の携帯が鳴る。私は彼氏が酔っ払って掛けてきたと思い「何?」と「ごめん。ちょっと代わるわ」「?」「富山日生気病院です。彼氏が鼻血が止まらず救急搬送され検査の結果、白血病と判明しました。車で来られているので明日の朝一番のサンダーバードで迎えに来てください。」「電車の時間を調べていきます」「6時30分です」「あっはいわかりました」「今日は病院に泊まりとなります」「はい」「遅れないようにしてください」「はい」・・・。【白血病】【入院】の言葉が強すぎて頭真っ白『はい』しか返事できない。翌朝始発に乗って富山へ向かう。

早朝の新大阪駅一人ベンチに座り電車を待つ間、涙が止まらず、ホームの時計の時間がわからなかった事を今でも鮮明に覚えている。勿論 車両には私だけ!気持ちの緊張からか?色々な事を考えているとアッという間に金沢に到着。新幹線で一駅で富山に到着、タクシーに乗ってワンメーターで富山日赤病院に到着。駐車場に彼氏の車が

一台ポツンと停まっているのを確認し、再び号泣してしまうも、しっかり気持ちを引き締め病院に入る。到着したのが11時頃だったような気がする。彼氏は既に点滴中であった。泣き腫らした顔がバレたのか【ごめんな】を繰り返す彼。【何してんの?】と地味な強がりを言って後悔する私。彼氏の現状の話を救急の先生のから説明があり、「紹介状を書くので明日必ず病院に行って早く治療を始めて下さい。」愕然とする。富山から大阪までの運転中の記憶はあまりない。無事に家に帰ってくるも、お互いの会話が無く【なんで?なんでなん?】みたいかモヤモヤが続く。月曜日に一番近い大きな病院に行って紹介状を見せると、「うちには血液内科が無い為、違う病院を探します。」数値が悪いせいか?「病院が決まるまでベットで横になっていて下さい。」と言われるも身体のだるさ等自覚症状は全くないみたいだった。病院で待つ事6時間!やっと病院が決まり救急車で搬送される。私は救急車の後ろを車でついて行く。主治医の先生から事の重大性を告げられる。彼氏が「今日一旦帰って入院の用意をして明日来ます」「死にますよ」「はい」となり、直ぐに沢山の書類の手続きをし、「今夜から白血病の点滴を始めます」「お願いします」。私は家に帰り入院に必要な物を買って準備して再度病院へ。家に帰ったのは22時頃だったかな?次の日に病院に行く準備をして就寝。

23時30分携帯が鳴る。病院からである。寝ぼけながら電話に出る。看護婦さんから「直ぐに来てください」「えっ?」「何分ぐらいで来れますか」「えっ?」ようやく目が覚める。理由を聞いても「直ぐに来てください。何分で来れますか?」何か嫌な予感がした。「道は混んでいないので車で30分で行きます。」パジャマにジャンバーを着て直ぐに病院へ向かった。主治医の先生に呼ばれ「白血病の点滴治療を始め2時間後、脳梗塞を発症しまして、今、脳梗塞の緊急治療しています」「えっ?」治療している部屋へ案内される。意識はるものの呼吸の荒い彼氏を目の当たりにする。倒れそうになって看護婦さんに支えてもらった事を覚えている。一旦治療が落ち着き主治医の先生に【今晩がヤマです】【えっ?】・・・。病院で一夜を明かす。朝8時に主治医の先生に呼ばれ「大丈夫です。ヤマは越えました。」「ありがとうございます」号泣。「先に脳梗塞の治療を行いその後に白血病の治療となります」「お願いします」。その日20時まで病室で一緒に過ごし、帰宅。あっちゃ~・・・パジャマだった!まっいいか!即寝。仕事先に事情を説明し退職。引継ぎは都度行うとし承諾してもらう。ありがたい会社であった。ハローワークに行って失業保険の手続きをし毎日病院へ朝8時から20時迄通う。朝・昼・夜御飯の3個のお弁当を作り、一緒に食べる。・・・本当は病室での飲食は禁止だったみたいなんですが、看護婦さんに許可をもらいました。彼氏というと、意識・食欲はしっかりしているも、脳梗塞の後遺症にて左上下肢の麻痺が残る。発症から3ケ月以内でリハビリにてかなりの回復が見込めたが、引き続き白血病の治療があり、リハビリ出来ず。白血病の治療が始まり、体毛(頭・眉毛等)全て抜ける。彼氏はポジティブで「散髪代うくなぁ~笑」「ほんまやなぁ~笑」「髭も剃らんでええから楽やわ笑」「ほんまやぁ~笑」。治療過程で『無菌室』があり私は入室前に手を消毒し医療用のエプロン・帽子・手袋をし対面。病室は28°となっており、私にはサウナでした。私も随分痩せました。彼に感謝です。規則正しい生活をしたオカゲかな?そりゃ~夕食18時で三食お弁当だし。入院中、左上下肢を動かすリハビリの為、下肢の装具を作り介助付きではあるけど一生懸命リハビリをする彼氏を今でも鮮明に覚えている。ケアマネの進めもあり、市役所に身障者認定調査を申請、その認定の結果【要介護5】となる。ケタタマシク月日が経ち、9月に退院の目途が立つ。家に介護ベット・車椅子等々、今度の介護生活に必要な物品をケアマネさんを始め沢山の方々の協力によアッという間に揃う。家の庭を潰しスロープを作り、ポータブルトイレを購入し・・・。凄い勢いで¥が飛んでいく。働かないと!う~・・・・・・今度の介護生活を考えると以前のような9時17時の」事務職は✖。介護の知識を着ける為、特別養護老人ホームへ日勤(9時17時)で週4日にて勤務。今までの人生で経験してなかった全くの新しい世界への第一歩であった。職員の皆さんがあまりにも一生懸命でピュア過ぎて、自身の心の汚れを痛感する日々でした。利用者の介護生活に必要な一つ一つの細やかな心遣い・声掛けを学ぶ。楽しくなってくる。物凄い勢いで月日が過ぎ、市役所から認定調査通知が届く。ケアマネさんから「要介護3か4になると思います。その場合、介護保険の点数が減り現状でのヘルパーを使う回数を減らさないといけなくなります」「えっ?」「認定調査の結果を待ちましょう」「はい!」結果が届くまで色々考える・・・。まだまだ介護知識取得の為、介護業界で働きたい・・・家の近くの施設に勤務先を変えよう!決まり!以前はパートであったが、派遣登録し、勤務先をから自転車で3分の特別養護老人ホームへ転職する。昼休みに自宅に帰って、パット交換・昼食介助を行い、仕事場に戻る事とし、ヘルパーの点数を減らした。認定調査の結果が届く【要介護4】となる。ケアマネさんの情報・知識により先手必勝!転職して成功!日勤9時30~18時30分の週6で働き始めた。生活のリズムを作るのに、少し時間はかかったが直ぐリズムは出来た。疲れは無いと言えばウソになるが、休みの日はお昼まで寝た。と言うか目覚めなかった。ケアマネさんの進めで彼氏は週3日デイサービスに行く事になった・・・入浴・リハビリが目的であった。さぁ~ここから【今日までの色々の気付き】を発信していきたいと思います。